他人に気を使い過ぎる=自己否定の要素 な女性のご相談

この年末年始は

開けてみたらそこまで忙しくなかったので、それじゃぁ初めてお年始は休んでみようか!

って休んでいたら、「2日続けて来てみたらお休みでした

と、メールが来ました。

「明日は営業します、いつまでいらっしゃいますか?」

5日に帰ります

「そうですか~もし来れるようならまた連絡してください、またの機会に」という流れでした。

メールの一部に、「年寄なので元気があれば伺います」と返事が来たのですが、

これがずっと残っていて、

朝起きて、「ああ!たまにはホテル送迎をやろう!」と起き抜け思いお客さんにメールしました。

以前はたまにですが帰りが一緒になったときはお客さんをホテルまで送ってあげたり、

品物を居酒屋まで届けてそのまま宴会に参加したりとお互いに楽しく自由気ままにしていたことがありました。

運営者
運営者

これを読んでくれている、過去にご一緒した方なら分かってくれてますよね!

さて、2日続けて来店して頂いたので、こちらもお返しにと思い連絡したところ、

いえいえ、そんなお手数をお掛けするのは大変ですから

と、気を遣った様子で丁寧にお断りされ、

「これからバスで向かいます!」

と、3日連続で来店されました。

有難うございます!

この内容をお客様に詳細に説明しました。

気を遣う=自己否定

どういうことかというと、お客様に本音ではどう思っていましたか?

と尋ねてみると、、、

「本当はご厚意に甘えたいけど、、、と気を遣っていました」と。

例えば今回は、、、

運営者
運営者

僕としては全く気にしてなく、逆にお客さんを乗せて車でユンタクしながら出勤出来たら楽しいだろうな、 と思っていました。

ところが、、こう思ってないだろうか・・・という優しさとも取れる心配となり、

自己否定を引き起こしているのが分かりましたでしょうか?

と、お話しさせて頂きました。

普通に皆さん沢山のケースで気を遣っていると思います。

このやりとり上でも何ともない普通の会話のように見えますが、

実際は様々な機会や可能性を自らがなくしてしまっています。

機会や可能性なんてそんな大したことじゃないんじゃ・・・

そんなことはありません、機会なんてそこら中に沢山転がっていて、

気が付くか気が付かないか、繋げられるか繋げられないか、行動できるかできないか

そんなものです。まぁそれは置いておき、

気を遣うということは、

素直に考えて、、決して「楽」ではないことですよね。

いちいちあちらの事を勝手に考えたり、予測したり

面倒だし、実際その人はどう思っているかも分かりません。

それなら「楽」な自分になれば良いだけの話となります。

実際にご相談を受けた内容と照らし合わせると、「お仕事の関係者には99%の人に気を遣っている」と。

ということは、少なくともその半分くらいに、本当はこう思うんだけど、という自分がいることになります。

その気持ちを気を遣うこと(優しさだと思い込み)で美化し、半数程度に実際は自己否定を引き起こしてきた。

となりますよ、とお伝えしました。

お客様は半身半疑です。

そして、

この原因の出どころは、昨年亡くなられたお父さんへの気持ちだと思いましたが、

お話しの最後の方に出てきた、若くして亡くなったお母さんの方に伝えきれていない感情がありました。

自分に干渉し過ぎる母

だったということでした。

干渉し過ぎるとことは、気を揉まされてきたとなり、気持ちを使ってきたという系図が成立します。

多分、たどってみると小さなころから繰り返されていることだと思います、

また、現在も要らない気を沢山の方に使っている可能性があり、

この原因はお母さんとの間に交わされたことだった。

確かに母にならいろいろな感情が残っています

「お墓やお仏壇に直接声に出して、言いたかったこと、伝えたかったこと、聞いてみたかったこと、思い出したこと何でも良いので思いつく限り話してみてください。」

その他いくつかアドバイスをして終了しました。

お伝えしたことで自分で納得したものを行動してみてください。

そしてまた報告をお待ちしております。

と、終了致しました。

皆さんも自分と照らし合わせて「楽」な自分になってみましょう。

*この内容はご相談中の一部を抜擢し要約して掲載しています。